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ガールズ!

物心ついたときには出会う人皆から坊ちゃん、と呼ばれてた。
 なるほどわたしは昔っから背が無暗に高くて、それは同年代の女の子と並んでも頭一つ二つ上にいて、バレーやらないか、と誘われて入った小学校のバレーチームは女の子は原則髪をくくるか短く切るかの二択だったから邪魔になるのも嫌だしくくるのが面倒で、それ以来ずっと高校生の今までざくざく切ったままでいる。伸ばしてみたい気もするけれど、もうすぐ全国大会なのに副キャプテンが急に色気づくのも気がひけた。
 そんなわけであまりにも高校生としては子供っぽい感じのまま、でも一応、高校にもなるとオシャレな友達っていうのはちょこちょこといて、それがエリだった。
 彼女は髪の毛を染めていて、スカートがすごく短くて、かがむと見えちゃいそうで、あたしは時々そっと後ろに回るようにしている。どうも接点もないような気はするのだけれど、入学後すぐのとき席が隣同士で、彼女の
「狭山さんってさ、けっこー美人だよね」
という言葉のひとつでわたしたちは友達になった。

 これは夏休みまで三日の午後のこと。ホームルームで決めてたのは、夏休み明けの学園祭で何をするかで、うちの学校では例年二年生はほぼ屋台と相場が決まっていた。
「――じゃあ、女装and男装喫茶で決定ということでー。」
 でもわたしはというと、若干疲れてたからその日はずうっとうとうとしていて、ちょうど5現に入っていたそのホームルームは睡魔との戦いで、チャイムの音で首が痛いほど曲がっているのに気が付くと協議はもう終わっていた。
「じゃあ、終業式までに女子は服装きめといてくださーい。夏休みの補習期間の準備作業ははほとんど体育祭と大道具とリハなんで、よろしく」
 そう嬉しそうに言った代議員の子はそういえば演劇部だったな、とわたしは思い出して、周りの子がわいわいとスーツ着よう、なんて騒いでいるのを聞いてどうしようと思った。
 部活人間でここまで来たので、制服とウェアと以外の私服なんて数えるほどしかない。お父さんはスーツを着ないのだ。(鉄工所の人だから)いっそウェアで済ませたかったが、それではおそらく駄目だろう。

「ねー、エリ…あのね、頼みごとがあって」
 部活が終わるとミーティングもそこそこに、わたしは隣の教室にそっとたち寄ってみる。案の定だけど我が友人はそこにいて、あによ、と答えたエリは誰も人がいないのをいいことに、椅子の背もたれにとろけるようにもたれかかったままイチゴ牛乳のパックをじゅーじゅー吸っていた。
「あの、実はさ」
 仕方がないので洗いざらい話をする。学園祭で着なきゃいけない衣装の話、でもどうしたらいいのかわからないこと。エリはふんふんとうなずきながら話を聞いてくれた。
一通りの説明を終えると、エリが薄ピンクの唇を開く。
「――で、どんな感じの着るの?宝塚みたいなひらっひら系?ギャル男?ハルカならさわやか系のがいけんじゃないのかとは思うけどさ」
 エリはいたって真面目な顔で、じっとわたしの顔を覗き込む。なんだかそれが落ち着かなくって、わたしは目をそらした。
「んで顔見ないのよ、感じ悪いよ」
「や、その、ゴメン……なんていうか、あたしは別に―――正直なところファッションとかよくわかんないし、なんでも。エリがいいって言った奴なら」
 ふーん、何でもねぇ……と気のない返事を返し、彼女はくるりと回ってそっぽを向く。短いスカートがひらりと翻る。
「なんでもいいならテキトーに男子にブレザーでも借りれば」
 エリはそういうとすたすたと歩きだし、あわてて後を追ったあたしがねえ、なんでそんなに怒ってんの、と聞くと、いや別に、とやっぱりふてくされたような返事が返ってきて、それっきりその日は一言も口をきかず(というかきけず)駅で別れた。

                  ◆

 物心ついたときにはもう、「かわいいね」とたった一言言われたくて頑張ってた気がする。
「かわいいね」と言われればいい気分だったし、その方がちやほやしてくれて得だったっていう、そういうわけだけれど、別にだからと言ってあたし自身はかわいい方でもなく、というか肌とか一日手入れしないとがっさがさになるし髪の毛は伸ばして手入れして頑張ってる割には染めたりストパーかけたりアイロンしたりとかで枝毛がよく出て毎回見つけるたびに躍起になって切ってるし、本当は一重なのを毎朝頑張って二重に修正して、つけまつけて、二倍にボリュームアップさせてから家を出てるけどぶっちゃけそのせいで何度か遅刻しそうになってる。定期的にネイルも付け直す。実は普通に生活してるだけでもぶつけてけっこうすぐに禿げるから。夏に向けてダイエットにも余念はない。最近マジサラダしか食べてないしあたしはうさぎかっつーの、でも体重そんな変わった感じないし筋肉と体力は落ちるからマジ世の中はクソだ、マヤ歴のとおり滅べばいいのにあたしは真剣に考えている。
 さてあたしはそんな感じで毎日ちゃらちゃらしたお決まりの所詮底辺なんだけれども、そんなあたしでも高校まで来ると友達も一応ちゃんとしたのがいて、その子の名前はハルカっていう。ハルカはまあつまりは隠れ美人という奴だかで髪はベリーショートで真っ黒だけどサラサラストレートで髪質よくて、んで運動部だから痩せてて。脚も長いし背も高い。詳しくないけど体育館で練習してるらしいからなるほど肌も白いしシミとかそばかすとか無くてキレーだしニキビひとつないし、そのくせ成績もそれなり取ってるからな、ホントこいつ。畜生。
 派手ではないけどさわやかで、おまけに見た目そのままに世の中スレてない感じで、あーこいつは生きてて幸せなんだろうなーとあたしは思ったりする。流行りのアーティストとか化粧品とかカラオケの安いとことかリサーチして探り合って追いついてしなくっていいんだろうなーと思うとあいつの時々女子としては広めの背中を思いきり蹴り飛ばしてやりたくなる。階段で。これはさすがに本人には言わないけど、かなりホント。
 だけどなんだかんだであたしはあいつの背中を蹴らないし、あたしたちは仲良くやっていて、こんなに違うキャラでも帰りにマック寄ったり自販機でファンタ買ってだらだらくだらないおしゃべりをしたり、学食の新メニューに群がる男子の列にビビったり、と割と高校生らしいしょうもないことして時間をつぶしている。この友情が主にハルカの包容力で成り立っているのはあたしも自覚済みだ。
 さてこれはこの間の放課後のこと。いつものように教室でイチゴ牛乳のパックをすすってたらハルカが声をかけてきた。あによ、と聞くとなんだかもじもじしていて、その、頼みごとがあってね、と切り出されたときのあたしは恋バナかそれとも宇宙人でもかくまえってか、と若干それなりに動揺していたのだ。
「その、学園祭で男装しなくっちゃいけなくって―――」
 と、恥じらい顔で言うハルカにあたしは思わずそんだけ!?と椅子ごとひっくりかえって聞きたくなったけどぐっと我慢した。真剣なのだ、一応。こいつは。
「――で、どんな感じの着るの?宝塚みたいなひらっひら系?ギャル男?ハルカならさわやか系のがいけんじゃないのかとは思うけどさ」
 こいつなら何でも似合うだろうな、とあたしは思った。だって素でヅカの俳優みたいだもん。背が高くて、声低くて。あたしはギャル男のハルカを想像してみるためにじっと覗き込む。髪染めるのは嫌がるだろうから、ウィッグだろうな、チーコ(演劇部)持ってるかな、メイクどうしよ、とかなんとか考えていたら、ハルカがふいっと顔をそむける。
 感じ悪いよ、というと急に萎縮して、ハルカはうつむいたままゴメン、と謝った。なんで謝るのか意味が分からない。少しイラっときたあたしの顔は、けっこうひどいものだったと思うのだけれどハルカは気づいていない。
「――なんていうか、あたしは別に―――正直なところファッションとかよくわかんないし、なんでも。エリがいいって言った奴なら」
 なんでもいいの、なんでも、と繰り返すこいつはなるほど、興味がないし必要もないのはわかったけれど、なんでもってなんだよ何でもって、じゃああたしに聞く意味ないんじゃん、と思ったらむらむらと怒りがわいてきて、ふーん、何でもねぇ、とあたしはつぶやく。え、とようやくここでハルカが顔を上げて、あたしの語調が少し違うのに気が付く。困ったような顔でエリ?とおろおろする姿がまるで「私はなんにも悪くないです」と言っているようでなんだかとてつもなくムカついて、あたしはそのままハルカを置いて教室を出た。あいつはすぐにカバンをもって追いかけてきたけれど、結局その日はそこからさき一言も返事を返さずに列車に乗った。

 家に帰って、とっとと風呂に入って、ドライヤー当てて、布団の中であたしは考える。正直な話、あれはハルカが別に悪かったわけじゃないけど全面的にあいつは悪い。まだなんだかムカついてたけど、でもやっぱりちょっと悪いことをしたなって思ってないわけでもなくて、ねえ、ねえエリ、って雨の中の子犬みたいな顔で繰り返してたハルカのことを思い出したらやっぱりちょっとだけ胸が痛んだ。
 もういいや、考えるのやめよ、明日でいい、と思って一応当たる気のする古典の教科書を出してぱらぱらとめくっていると、古事記だかなんだかの話にいきあたった。それは別によくわからない天孫うんちゃらであまりに読むのが面倒だったから中身まで読み込むのはやめたけど、代わりに昔お母さんから聞かされた『神話のお話』とかいうタイトルの絵本を思い出した。
 ギリシャ神話とかなんだとかろいろあったけれど、そのなかの日本神話でなんだっけ、アマテラスだ、あの人が、違うな神様だもんな、あの神様が弟が天上に遊びにきて、それを喧嘩売りに来たと思って戦うために男装をするってシーンがあった、それ。
(挿絵が平安時代とかのしもぶくれ系だったからってのもあるけど)とりあえずアマテラスはあたしみたいんじゃあないことは確かだと思った。多分、ハルカみたいなやつ。キャラ違うとかそういうのでもわりと平気な奴。ちょっと天然ボケてる感じもするし、すごくそっくり。
 じゃああたしは何なのかっていうと、きっとアメノウズメとかその辺が一番近いんじゃないかと思う。少なくとも彼女はきれいに着飾ることがどういう効果を持ってるか知ってた。一枚一枚重ねた衣類やメイクや女の子っぽい見せ方や、そういうのが鎧になることを知ってた。それが武器になることをしってた。それはきっとホント。
 良く分からないから、といったあの言葉が無性に腹が立ったのは、きっとそういうのなしでここまできたんだって暗に言ってるみたいで、妬ましかったのかもしれない。いや、ただ単に知らないだけだろうな。もったいないやつ。アマテラスがもしもそういうのを知ってて、媚びるのが得意だったら、きっと弟とあんなに大ゲンカしなかっただろう。ねぇねぇ、と袖を引っ張って操って、とか、そういうことができただろう。何よりきっと、かわいいね、とかすてきだね、と言われることを知らないのだろう。そう思ったらなんだかとてもアマテラスもハルカもかわいそうに思えてきて、やっぱり明日は一本早くガッコ行こうかな、とあたしは思った。

                     ◇

 翌朝、駅のホームで列車を待っているとエリが隣にきて、(実は彼女はいつも一本後の便で来ることが多いから、この時間にいるのはすごくレアだ)昨日と同じむっすりとした顔で何も言わないで立っていた。わたしが昨日はごめん、というと、エリはいーよ。許したげる。と偉そうに言って、それから列車が着くやいなやすたすたと乗り込んでいった。わたしがぽかんと背中を見ていると、はやくしなよ、と思いきり腕をひっぱってきたので、ああなるほどこれは照れ隠しなのだなとわたしが気づいたのは乗ってから次の駅に着く頃だった。

「―――で、あんたなんでもいいって言ってたからあたしが決めた。あんたコレね」
 と、いってエリが差し出したのは真っ黒な執事服で(どこから持ってきたのかは知らないけど)どうして?と聞いたらあんた足長いからなるべくそれが生かせる格好の方がいいでしょ、と後ろをむいたまま言われた。
 試着ね、と着替えさせられて見るとなるほど、自分でもびっくりするほど普通にきれいな男性に見えて、すごいね、わたしこんなになると思ってなかったよ、カッコいいね、と言えば馬子にも衣装、とエリはつぶやいていたけれど満足そうだった。
「あんた、結構いい地してるんだから私服ちゃんとしたの着てちょっとメイクしたら化けるわよ。もったいない奴。あんたはもうちょっといろいろ着飾って苦しめばいいのよ」
「なにそれ、なんか後半怖いよ。私服買ったことないんだよね」
「ハア!?この年で……いーわもう、今度買いにいこ。来週の日曜とか」
 わたしはなんだかくすぐったくって、うれしくて、ねーエリ、ありがとね、というとなによ、とむくれたような顔をしたまま彼女はわたしを見上げてきて、なんだかんだでやっぱりかわいい子なのだとわたしは思ったのだった。


(終)

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